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腸内細菌による空間作業記憶の向上本研究は、究極の善玉菌と呼ばれる腸内細菌の一種である、Akkermansia muciniphila がY字迷路における自発的交代行動の試験結果より、マウスの空間作業記憶を改善する可能性を明らかにしたものである。
腸内マイクロバイオームと脳機能との関係、いわゆる「腸脳相関」は近年注目されているが、特定の菌種が記憶機能に与える因果的な役割は十分に解明されていなかった。筆者らはまず、マウスに対してヒト由来の糞便微生物を移植する実験を行い、その前後で空間作業記憶の変化を評価した。その結果、一部のマウスでは記憶能力の有意な改善が認められ、一方で別の群では逆に低下が見られた。この差が糞便微生物移植によって導入された腸内細菌叢の構成の違いに起因するのかを検証するため、研究者らはメタゲノム解析を用いて糞便および消化管由来の細菌叢を比較した。解析の結果、糞便由来の細菌叢では記憶改善との明確な関連は見られなかったが、消化管内の細菌叢においては、記憶改善群でベロウコミクテス門の比率が顕著に高いことが認められた。また、記憶スコアと菌門レベルの存在比との相関分析により、特に消化管中のA. muciniphilaの存在量が、空間記憶の改善と量依存的に正の相関を示すことが分かった。
さらに研究者らは、A. muciniphilaの2種類の菌株を健康なマウスに単独で経口投与する追加実験を行い、その因果性を検証した。Y字迷路における自発的交代行動は、いずれの株の投与群でも対照群と比較して有意に増加し、空間作業記憶の向上が確認された。加えて、記憶機能改善が神経可塑性の促進させる海馬領域での脳由来神経栄養因子の発現量も上昇していることが明らかになった。
本研究の意義は、腸内細菌の特定種が空間記憶に与える因果的効果を実験的に立証した点にある。従来の多くの研究が腸内マイクロバイオームと脳機能の関連を相関的に示すにとどまっていたのに対し、本研究は単独菌株の投与による行動変容と神経栄養因子の変化を観察することで、腸内細菌が脳に与える影響についてメカニズムの一端の一つを解明した。また、糞便ではなく消化管内部の腸内細菌叢の構成が空間作業記憶に強く影響することを示した点も重要である。これは、糞便サンプルだけに依存する腸内解析では見逃される可能性のある機能的なマイクロバイオームの存在を浮き彫りにした。今後は、A. muciniphilaの脳への作用経路や、ヒトにおける認知機能への応用可能性を含めた更なる研究が期待される。
紹介論文: Increasing spatial working memory in mice with Akkermansia muciniphila.Communications Biology, 8, 546, 2025.